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「3000人」増員を招いたA級戦犯は誰だ 当然、中坊公平氏もその一人

2013.05.17 Fri

11:48:11

 少々、ネタとしては古くなりますが、2013年5月3日、元弁護士、元日弁連会長の中坊公平氏が死去しました。
 この中坊公平氏は、今時、破綻を招いた司法「改革」のA級戦犯の1人です。
 司法制度改革審議会は、2001年6月に意見書を出しますが、そこで提言されたのは、司法試験年間合格者数3000人の激増でした。
 以降、司法試験年間合格者数は増加を続け、現在、2000人強にまで激増しました。3000人に達することはありませんでしたが、2002年の司法試験年間合格者数3000人の閣議決定により、2000人は維持されてきたというのが実情です。
 今時、その3000人の枠自体は撤回される見込みです。
法曹養成検討会議中間的取りまとめ

 この3000人を招いたものは何故か、司法審の議論の中では司法試験年間合格者数の激増に慎重だった法務省、最高裁。
 しかし、ここで中坊氏が3000人などと言い出したことから、一気に3000人という方向に行きます。中坊氏がA級戦犯であると言われる由縁です。

 ところが、この中坊氏A級戦犯説に異論を唱えている方がいます。
中坊公平氏死去
 小林正啓弁護士ですが、「こんな日弁連に誰がした」の著者です。

 小林氏曰く、
「弁護士激増政策に至った最大の原因は、日弁連が、高度経済成長にもかかわらず、60年代以降30年にわたって、増員に抵抗し続けてきたことにある。ただ、この30年間は、冷戦下の高度経済成長という世界・経済情勢が、「小さな司法」を必要とし、日弁連のワガママを許容していた時代でもあった。だから、冷戦終結による社会変動に柔軟に対応していれば、弁護士増員政策についても、ソフトランディングの可能性は残されていた。しかし、「最低でも年1000人」の要請を真っ向から無視し、「800人の5年間据え置き」を決議した平成7年12月21日の日弁連臨時総会決議が、全てをブチ壊したのである。これにより日弁連は、「ギルド社会の既得権擁護の思い上がり」という非難にさらされ、国民から支持されなくなり、発言力を失って、当事者の椅子から引きずり下ろされることになり、その後1000人→1500人と続く法曹増員政策に歯止めをかけることができなくなる。中坊公平が3000人を提唱した平成11年(1999年)当時、経済界や法曹界の一部には、5000人、6000人を主張する勢力がいたことも忘れてはならない。中坊公平が3000人で収めなければ、6000人になっていたかもしれないという議論も、あながち嘘ではない。」

 日弁連が東西冷戦崩壊の社会情勢の変化により最初から1000人なりで妥協していれば今時の大増員はなかったのではないかという主張です。
 ここでのコメント欄での論争も興味深いですが、私は、このコメントで主張されているM.Tさんの見解に賛成です。
 今時の司法「改革」は、日弁連の方針が間違っていたから、年間3000人を招いたものではありません。
 確かに、司法試験年間合格者数自体は漸増させるべきであり、日弁連自体に保守的なところはあったと思います。
 その時代による養成数には限界がありますから、戦後まもなくのときに年間1000人を養成するなど無理な話で徐々に増加させるということになります。
 また500人で制限しておくことにも限界があります。1000人がよいか800人がよいかは当然、議論の余地のあるところで、普通であればいきなり1000人ではなく、800人にした上で検証を行い、なお養成に問題がなく法曹人口が不足しているのであればさらに漸増を図るというこのが当然です。

 小林弁護士の主張は、要は、このような当然の道理を主張しているから激増路線にストップが掛けられなかったというものです。最初から一定の増加にさえ同意していれば、その後の増員はなかったというものです。

 しかし、本当にそうでしょうか。800人にせよ1000人にせよ、それと比べて3000人は明らかに異質です。従来の司法試験では明らかに箸にも棒にもかからない出来の順位まで合格させるということになります。
 何故、敢えてそれが提言されたのかということが問題であって、平成7年時の日弁連の臨時総会を持ち出すことは経緯からしても誤りです。
 ましてや、「これにより日弁連は、「ギルド社会の既得権擁護の思い上がり」という非難にさらされ、国民から支持されなくなり、発言力を失って、」という意味がわかりません。ここでいう「国民」があまりに抽象的なのです。そのようなものはむしろ存在しないと言った方がよいです。

 規制改革の流れは、冷戦構造崩壊後から急速に進み、米国からの弁護士人口の増員が求められているようになってきています。
 それでも米国から求められていたのは、1995年の年時改革要望書では、現状の倍であり、要は1500人です。
 それが2000年の要望書が3000人となりますが、それが結果として司法審の提言の数字と一致します。
 他方で審議会の中では、最高裁をはじめとして急激な増加には質の問題がはらむことから慎重意見が出ていましたが、最後にこれを押し切ったのは、「改革」という抽象的な理念です。

 これに対し、小林弁護士は、すでに法曹人口激増に向けた、それ以上の圧力があったのだと主張します。

「経済人ではありませんが、1996年12月23日の毎日新聞で本最高裁長官の矢口洪一が4000人を提言しています(『こん日』161頁)。その後司法制度改革審議会が設置されたのは矢口洪一のシナリオに基づくものと私は考えています。たとえばこの4000人案が、なぜ「それほど強い増員圧力ではなかった」と言えるのか、おしえてください。」

 該当箇所に「4000人」の数字は見あたらないのですが、それはさておき、この矢口長官の発言が最高裁の公式見解ではないし、1つの政治的潮流として出てきたものではなく(該当箇所をみると、どうも「法曹一元」というカテゴリーの中で出てきたようですが、これはどうみても規制緩和という視点ではありません。)、これが政治的な圧力になるという状況は、どうみてもありません。
 1994年に出された経済同友会の「現代日本社会の病理と処方」でも大幅に拡大といっているだけで具体的なものではありません。ただ、そこに掲載されているものの中には「堀田力・法務大臣官房長(当時)は、50年間で〜20万人にすることをメドに、1年間の司法試験合格者数を5000人から6000人にすべきであると提案している。『ジュリスト984号』」というものがありますが、これとて全くメジャーではありません。背景事情もなければ全く具体性のない思いつきの域を出ていないからです。

 他方で、文科省は、1996年頃からグローバル化に対応しうる人材養成制度というものを作り上げることを本格化します(大学審議会「大学院の教育研究の質的向上に関する審議のまとめ」)。流れは1984年に設置された臨時教育審議会(臨教審)にさかのぼりますが、大学自体も従来の大学を解体し、新自由主義構造改革に組み込むことが始まります。
 1998年には、大学審が「21世紀の大学像と今後の改革方策について−競争的環境の中で個性が輝く大学−(答申)」の中でロースクール構想に言及します。
 規制緩和の要請と、一部のエリート養成を主眼にした文科省の思惑が一致することとなり、ここに法科大学院制度と法曹人口の激増というシナリオが出来上がります。
 これは800人にするとか1000人にするとかという次元を超えたものであり、その目的は従来の法曹の在り方を新自由主義構造改革に取り組むことでもあり(大学は既に取り込まれています。)、最初から増員を受け入れていればこんなことにはならなかったという主張は明確に誤りと言わざるを得ません。
 日弁連には、激増反対もさることながら、この新自由主義構造改革に組み込むこと、それ自体に反対することが求められていたのであって、日弁連が総力を挙げて闘えば今日のような状況には陥っていません。
 ところが、A級戦犯の中坊公平氏をはじめ、それ以外にも大阪弁護士会所属の大川真郎氏(自由法曹団弁護士)のように東西冷戦が崩壊したんだから従来の対立構造はないということで、自ら進んでこの「改革」に迎合していったというものです。
山岸憲司氏と尾崎純理氏

 国鉄分割民営化でも郵政民営化でも現場の人たちが反対闘争を行ってきたのとは対照的に、日弁連執行部が自ら迎合する路線を突き進んできたのであり、これがさらなる激増を阻止したなどというのは詭弁以外何者でもありません。
 この日弁連の迎合路線を敷いたのは中坊公平氏であり、中坊公平氏はA級戦犯と呼ばれるに相応しい方なのです。

追伸

 現在、前掲小林正啓弁護士のブログ「中坊公平氏死去」で意見交換をさせて頂いております。是非、ご参照ください。

追伸

 結局、小林正啓弁護士からは、責任あるご回答を頂けませんでした。
小林正啓先生 責任あるご意見をお願いします


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